韓国慶州(ギョンジュ・Gyeongju)観光情報ガイド、
韓国慶州旅の基本情報、慶州の気候、韓国慶州交通情報、韓国高速鉄道(KTX)など配信中・・・

> 韓国オプショナルツアー

【エリア】【釜山】【安東】【順天】【韓国の世界遺産】【韓国の名刹】

基本情報

基本情報

韓国文化&エンタメ

観光スポット

グルメ

ホテル

ショッピング

コミュニティ

HOME基本情報新羅仏教美術

新羅仏教美術

 

 

新羅の仏教美術の核を成す素材は石!

新羅23代の法興王(514~540年)14年(527年)の時、仏教は正式に国教として公認され、仏教文化の幕開けとなりました。慶州を旅行すると、数ある史跡の中でも特に石塔と石仏像がとても多いことに気付きます。慶州の仏教美術の核を成す素材は石なのであります。半円型の柔らかな陵線の古墳は、内部に石を積み上げて造られている。花崗岩を正確に積み上げた瞻星台、安山岩の芬皇寺の石塔、花崗岩を丸彫りした武烈王陵の亀趺南山に散らばる石仏の数々。
どれも華やかな葬式を配した、素朴な自然主義の美を感じさせます。最も美しい例が
仏国寺の境内にある2本の石塔の「多宝塔と釈迦塔」、そして石窟庵本尊仏の「釈迦如来坐像」であります。仏国寺には青雲橋と白雲橋の石造建築の傑作も残されています。社殿を支える石垣にしても、1000年以上の時を経てなおゆがむことなく整然として美を保っています。石でありながら柔らかい質感にあふれているのは、どの遺跡も同じです。日本の史跡に木工美術品が大いに対して、慶州は圧倒的に石造の遺物が多いです。
慶州の史跡巡りでは石に注目してほしい。

 

 

新羅の仏教

印度から発生した仏教が韓半島に伝われ始めたのは、高句麗時代の小獣林王(ソスリムワン、在位:371~384年)2年(372年)で、中国前秦から僧侶の順道によって仏像と経典を伝われます。百済には枕流王(チムユワン、在位:384~385年)元年(384年)、中国東晋から訪れた摩羅難陀(マラナンタ)によって伝われます。新羅には訥紙王(ヌルジワン、在位:417~458年)に仏教が伝来されるが、新羅で仏教が公認されたのは、法興王(ボッフンワン、在位:514~540)14年(527年)に李次頓(イ・チャドン、?~527年)の殉教によって成り立ちました。
初期の新羅仏教は王権強化のための王室仏教であり、国家仏教と言えます。したがって、必然的に新羅仏教は護国の性格を持つものであります。体表的な護国寺院は皇龍寺(ファンリョンサ)があります。特に、皇龍寺9重木塔は九つの周辺国から朝貢を受けようとする新羅人の願いが込められた塔です。

7世紀中期には慈蔵(ジャジャン:610?~654年)を中心とした「戒律宗」が盛んであります。密教も流行って病気が奇跡に助かったり、外敵を退ける奇跡を見せたりしました。新羅が三国を統一した後、仏教はさらに降盛を極めました。王様から一般民衆に至るまで、全ての新羅人が信じる宗教になりました。当時は留学僧が多くなるにつれ、唐にすでに成立していた仏教の宗派が新羅にも伝わり、いわば5教が形成されました。三国統一以前、高句麗の僧侶・普徳(ボデッ、?~?)によって成立された「涅槃宗」と慈蔵の「戒律宗」、義湘(ウイサン、625~702年)の「華厳宗」、元暁(ウォンヒョ、617~686年)の「法性宗」、真表の「法相宗」が成り立ちました。教理研究に偏っていた教宗は貴族に歓迎された反面、一般民衆は浄土宗を支持しました。浄土宗では、経典の深い教理を理解しなくても、阿弥陀仏に帰依するという意の「南無阿弥陀仏」だけ唱えれば、西方極樂浄土で生まれ変わることができると信じました。9世紀以後、新羅の仏教界には新風が吹き込まれますが、禅宗の流行がそれです。禅宗は所依経典によって宗派を分ける教宗とは一線を画し、「不立文字」、つもり教理を勉強しなくても真理を悟ることはできるという主張で、座禅を強調しました。
9世紀のはじめの憲徳王(ホンドッワン、在位:809~826年)の時代、道義(?~?)が禅宗を受け入れた後、次第に全国に広まって9山、つまり九つの禅宗の宗派が成立しました。教宗寺刹は主に慶州近隣に位置し、貴族勢力の支持を得るが、禅宗寺刹は地方に離れてある豪族と密接な関係を維持しながら発展しました。

 

新羅の仏像

仏像は仏教教理と信仰を含蓄的に表現します。韓国仏像は仏教が伝来された4世紀後半期に中国から入りますが、6世紀からは本格的に韓国的造形感覚が目立つ仏像が造り始めます。
三国時代の高句麗仏像は壮健で節制された量感をよく表し、百済仏像は精巧で洗練された美しさをよく表現されています。また、新羅仏像は素朴で満面に天真爛漫な笑みを湛えて、右肩を露にした姿が特徴であります。統一新羅時代には三国(高句麗・百済・新羅)仏像の特徴がよく調和を成しています。印度(グプタ朝)仏像様式を受け入れた中国(唐)仏像も導入されて、8世紀には石窟庵のような優れた仏教彫刻が造られます。石窟庵本尊仏は、科学と宗教的な情熱の結晶体で仏教芸術の傑作品として高く評価されています。9世紀からは中国の影響から脱して、独創的な新羅仏像を造ります。

韓国仏・菩薩象の印相(いんぞう)では、日本と中国では流行してない「降魔觸地印」の印相の釈迦牟尼仏と「智拳印」の毘盧遮那仏が広く流行ったことが特徴です。

 

石塔の国、新羅

塔とは本来、仏陀の遺骨である真身舎利を安置する墓のことであります。印度においては土製のドーム形であった塔は、仏教の伝来地の特徴に合わせ変化・発展していました。中国では塼塔(煉瓦石によって積上げた塔)が、日本では主に木塔が建てられましたが、韓国では石塔が多く造られます。
韓国に仏教が伝来した当時は木塔も多く建てられますが、火災に焼失しやすい。三国時代には中国の塼塔を模倣した石塔が、統一新羅時代以後は三国文化を融合した独創的な石塔が製作されます。
新羅石塔は、基壇部と塔身部、相輪部に構成されています。

 

梵鐘

梵鐘は仏教において音によって衆生を教化し、また大衆を呼び集めるための梵音具の一つであります。韓国鐘の起源は中国鐘にありますが、中国と日本の鐘とは顕著に異なる特徴があります。鐘を吊るすための鐘鈕(竜頭)は、中国鐘のような二頭の龍ではなく、一頭の龍が頭と前足をもたげる姿であります。鐘鈕の横には、音筒と呼ばれる筒があり、これは中国や日本の鐘には見られないものであります。また鐘身の上下帯にも紋様が施されていることも中国や日本の鐘とは異なります。鐘身には乳廓があり、乳廓の内部にはそれぞれ乳頭が配されています。さらに飛天像と、鐘を打つための撞座が施されています。
鐘の美しい曲線と
華麗なる樣式
美しく余韻の長い鐘音その優雅な形などは佛敎文化を代表する優秀な工藝品であります。

 

石灯篭

灯は火を灯す道具で、石灯籠は石でつくった灯籠。石灯籠は宮殿と官庁、民家などにもあるが、特にお寺に多く造られます。「灯指因縁経」という仏教経典には、灯は仏様の真理を照らしてくれることで、全ての衆生が善良な道を選ぶようにすると言われます。又、福を授かるためのことです。「施灯功徳経」には塔と仏像の前で灯を灯すと、須弥山(仏教で宇宙の中心になる山)頂上にある忉利天(とうりてん)に生まれ変わることができると言います。即ち、来世に福を授かるということです。また他の経典には灯の供養をすると人々の罪が消えるといいます。
お寺にたくさんの灯を灯すと、罪が消えて来世に福を授かることができると信じました。韓国最古の石灯籠は、百済人に造られた「弥勒寺址石灯籠」であります。八角蓮花模様の上台石と八角火舎石(灯を灯し石)が残っています。統一新羅時代には細長い八角柱(竿柱石)の石灯籠が主に造られます。共に、丸い柱の真中には太い節を刻んだ太鼓模様の石灯籠と、獅子2匹が火舎石を捧げている模様の石灯籠も造られました。

 

■専用車チャーター

専用車+専用ガイドプラン

■慶州観光

■釜山市内&近郊観光

■ソウル市内&近郊観光

■世界遺産観光

■映画&ドラマロケ地観光

■ナイト観光

■韓国高速鉄道(KTX)観光

■南北境界線(JSA&DMZ)観光

■韓国文化体験観光

■公演&チケット・ディナーショー

■地方観光

安東

順天・宝城

公州・扶余

■専用車チャーター

 

 

 

CopyrightLotus Tour All rights reserved.   お問合せ:tabi@tabijin.com

ホーム  会社案内  利用規約