南沙イェダムチョン
namsayedam
Namsa Yedamchon
韓国で最も美しい韓屋村の第1号!
韓国の伝統韓屋村

自然が美しい韓国の名山である智異山の東の入口に位置する「南沙イェダムチョン」は、昔から星州李氏、密陽朴氏、晋陽河氏などが代を続いで住み、多くの優れた儒学者とソンビ(士・両班)を輩出した由緒ある両班の村で、安東の河回村とともに慶尚道地方の代表的な伝統韓屋村といわれます。
村の裏山は孔子が生まれた中国の山の名前にちなんで名つけられた尼丘山で、前には澄んだ泗水川が村を取り囲んで流れています。
村では伝統韓屋が40軒余りが残っており、「イェダム」は昔ながらの土塀という意味で、静かな塀越しには伝統韓屋の美しさを垣間見ることができ、昔のソンビたちの気性と礼儀正しい行動を似たいという意味を持っています。
韓国の農村伝統テーマ村に指定された「南沙イェダムチョン」には、「南沙イェダムチョンの昔の塀」が国登録文化財に指定されており、崔氏古家、李氏古家、伊東書堂、尼寺斎、思陽精舎などが慶南文化財資料として指定されています。その他に村の象徴的な木として樹齢約300年のエンジュと600年の柿の木、700年の梅などの古い木があります。2011年、韓国で最も美しい村第1号に選ばれた南沙イェダムチョンは、韓国的な伝統と風景を大切に保存した美しい村で、昔のソンビたちの気象とマナーを学び、村を訪問する皆様にお寛ぎと感動をお届けしますでしょう!




‌❏ 住所:慶尚南道 山清郡 丹城面 智異山大路 2897番ギル 10(경남 산청군 단성면 지리산대로 2897번길 10)
❏ 電話:070-8199-7107、 FAX:055-972-7107
❏ 観覧時間:日の出~日没
❏ 入場料:無料
❏ 駐車料(乗用車):無料
http://namsayedam.com

CESS・・・・・
❏ 公共交通:[慶尚南道 晋州市(チンジュし)から] 晋州市外バスターミナルから山清 丹城行きバス乗車

韓国 世界遺産 - 山寺、韓国の山地僧院(Sansa, Buddhist Mountain Monasteries in Korea・산사, 한국의 산지 승원)
❏ 登録名称:山寺、韓国の山地僧院
❏ 登録区分:文化遺産 / 登録基準:(Ⅲ) / 登録年:2018年
韓国の名山は名刹を抱いている!
山寺、韓国の山地僧院は、自然景観が美しい全国の名山に位置しています。
僧院とは、仏教を修行する僧伽*と在家の信仰と、相互の交流や活動など、さまざまなコミュニティー場として活用される施設空間です。
韓国の仏教は古代三国時代、高句麗の小獣林王2年(ソスリムワン・소수림왕、372年)に中国(前秦・Ch'ien Ch'in)から韓半島に伝来し始め、百済の枕流王1年(チムニュワン・침류왕、384年)、新羅の法興王14年(ポップンワン・법흥왕、527年)、異次頓(イチャドン・이차돈)の殉教として仏教が公認されました。
7~9世紀には大乗仏教の様々な宗派を受け入れ、統一新羅時代と高麗時代(918~1392)は仏教文化の繁盛期を迎え、僧院は僧伽と在家の修行共同体として経営され、持続的に繁盛しました。
初期の仏教寺院は主に都市に位置していたのに比べ、8世紀末から流行した禅宗の影響で、禅修行の場所として理想的な立地条件を備えた全国の名山に本格的に山地僧院が建立され始めました。
高麗時代まで多様な宗派で栄えていた仏教は、朝鮮時代(1392-1910)の崇儒握仏政策**により禅・教両宗へと統合され、都市の寺院は次第に消えていきました。
仏教の歴史的状況は、禅修行と教理学習の両軸として修行教育が確立、僧伽の伝統も山地僧院を中心に維持・継承され、多様な土着信仰を取り入れながら今日に至っています。
僧侶は修行を行い、寺院の保存と管理のための職務を分担しました。
寺院の建築および補修に参加して、様々な仏教芸術品を製作したり、仏教儀礼を通じて宗教的機能と社会統合において重要な役割を果たしました。
また、僧侶たちは、寺院の経済的自立のために自給自足を生活化し、これは韓国仏教教団が持続できる原動力となりました。
山地僧院は韓国仏教の修行、教育、生活の総合的な空間であり、韓国仏教が継承·発展してきた歴史の全過程が有形無形で受け継がれている遺産です。僧侶と信徒たちが仏教信仰共同体を結成し、今日に至るまで修行と信仰生活を維持してきた持続性から山寺の価値が認められ、2018年に世界文化遺産に指定されました。
山寺、韓国の山地僧院の世界遺産に指定された七つの寺院は、当時の主な宗派である戒律宗、華厳宗、法相宗、禅宗に基づいて創建されました。
7世紀に通度寺と浮石寺、鳳停寺、法住寺が、8世紀末から禅宗が流行し、麻谷寺、仙岩寺、大興寺が創建されました。
山寺の入口、一柱門を過ぎて境内の中心エリアに至るように構成された参詣動線は、韓国山寺ならではの独創的な構造です。それぞれの建物は、宗教的な象徴性と機能を示し、有機的な秩序の中で幾何学的に配置しており、韓国仏教の歴史的発展段階を思想的、建築的に示しています。
山寺は山を境界にせず、開放的な空間に繋がっており、建物は周辺の地形的特性を活かして、自然景観にふさわしい建物を配置しています。まるで秀麗な山の姿の中に包まれているような美しい様子です。
境内は本堂を中心に、仏菩薩を奉安する殿閣、経典を勉強する講堂、座禅修行をする禅院、四部衆がともに生活する寮舎、その他修行と生活に必要な空間からなっています。
*僧伽:仏道修行をする僧の集団
**崇儒握仏政策:朝鮮時代の初期に仏教を国教学から除外し、儒教を支配理念に確立するために実施した政策。
通度寺・통도사
慶尚南道 梁山市 下北面 通度寺路108
경상남도 양산시 하북면 통도사로108 (Tel: +82-55-382-7182)
国之大刹、仏之宗家!
霊鷲山 通度寺(トンドサ・통도사)は、新羅時代の善徳女王15年(646年)、高僧の慈藏律師が中国の唐での留学生活から帰ってくる際に一緒に仕えてきた、仏舎利と金襴袈裟、大蔵経を奉安し、創建されました。
通度寺は海印寺、松広寺とともに、韓国の三宝寺院のうち、仏宝寺刹です。
本堂の大雄殿には仏像を奉安せず、屋外には金剛戒壇が設置され、釋迦牟尼仏の法身を象徴する眞身舎利(仏舎利)が安置されています。
通度寺は、韓国最大規模の寺院で、寂滅宝宮または霊鷲叢林と呼ばれています。
浮石寺・부석사
慶尚北道 栄州市 浮石面 浮石寺路345(浮石面)
경상북도 영주시 부석면 부석사로345 (부석면),  Tel: +82-54-633-3464
鳳凰山 浮石寺(プソクサ・부석사)は新羅時代の676年に義湘大師により創建され、華厳宗の本山です。 鳳凰に似ていることから名付けられた鳳凰山は、風水的に優れた吉相の地として広く知られており、太白山と小白山の間に位置しています。
浮石寺は韓国で一番美しい寺院です。
本堂である無量壽殿は韓国で最もよく建てられた古建築で、鳳停寺の極楽殿に次いで古い木造建物です。安養楼に登って眺める太白山の連峰と夕日の美しい風景は壮観です。
鳳停寺・봉정사
慶尚北道 安東市 西後面 鳳停寺キル222(西後面)
경상북도 안동시 서후면 봉정사길222  (Tel: +82-54-853-4181)
天灯山 鳳停寺(ポンジョンサ・봉정사)は、新羅 文武王12年(672)に義湘大師の弟子の能仁大師により創建されました。能仁大師は、天灯窟で修行をしていた時、紙の鳳凰をおって飛ばし、鳳凰が落ちた場所に山門を開山し、「鳳凰が停まった」という意味で鳳停寺と名付けました。
鳳停寺は、韓国で最も古い木造建築の極楽殿がある場所です。
1999年に訪韓したイギリスのエリザベス女王は鳳停寺を訪問し、「美しい寺院」と称えつつ「今日の訪問は長く記憶に残るだろう」と感想を述べ、芳名録に「静かな山寺、鳳停寺で韓国の春を迎える」というメッセージを残しました。鳳停寺はお寺の中、殿閣配置が一番優れたといわれています。
法住寺・법주사
忠清北道 報恩郡 俗離山面 法住寺路 405
충청북도 보은군 속리상면 법주사로 405  (Tel: +82-43-543-3615)
俗離山 法住寺(ポプチュサ・법주사)は、新羅の眞興王14年(553年)に義信祖師により建立されました。
義信祖師が天竺(India)へ求法旅行に行き、白いロバに経典を積んで帰ってき、ここに留まったということで、「仏の法が住む寺」、「法住寺」と名付けました。
お寺のある俗離山とは、俗界から離れたという意味で、昔から韓国の8景の美しい山並みを誇る名山です。
韓国として現存する唯一の五重木塔である捌相殿は、お釈迦様の生涯と悟りを開くまで、八つの場面で描いた八相図を奉安した木造建物です。
麻谷寺・마곡사
忠清南道 公州市 寺谷面 麻谷寺路966(寺谷面)
충청북도 공주시 사곡면 마곡사로966  (Tel: +82-41-841-6220)
泰華山 麻谷寺(マゴクサ・마곡사)は、百済武王41年(640年)、新羅の高僧、慈蔵律師によって創建されたと伝えています。
別名「春麻谷」と呼ばれ、春の日差しのに生気がある麻谷寺は、木と春の花の美しさが群を抜いてます。
麻谷寺は仏教絵画を描く画僧を多く排出した所で、大光宝殿の「水月白衣観音菩薩図」が有名です。
仙岩寺・선암사
全羅南道 順天市 昇州邑 仙岩寺キル450(昇州邑)
전라남도 순천시 승주읍 선암사길450   (Tel: +82-61-754-6250)
曹溪山 仙岩寺(ソナムサ・선암사)は、百済聖王5年(527年)に阿道和尚により創建されたと伝えられています。
静かな修行場所である仙岩寺は、他の寺院とは異なり、大雄殿の脇侍菩薩像と於間門、そして四天王門がないのが特徴です。特に、於間門は、悟った方だけが通ることのできる中央の門で、人が通ることのできない門だとして造られなかったそうです。
曹渓山の秀麗な自然景観、春の伝令である仙岩の梅(天然記念物第488号)、樹齢600年の臥松、寺の入口の渓谷に架かる美しい曲線の石橋、昇仙橋(宝物第400号)、野生茶、山寺でしか見られない伝統トイレ、解憂所*などで有名です。
*解憂所:憂いを晴らす所、または煩悩が消える所という意味。
大興寺・대흥사
全羅南道 海南郡 三山面 大興寺キル400(三山面)
전라남도 해남군 삼산면 대흥사길400   (Tel: +82-61-534-5502)
頭崙山 大興寺(デフンサ・대흥사)は、544年に阿度和尚により建てられ、道詵国師によって建て直されたと伝えられています。
大興寺は、数多くの禅僧と教学僧を輩出しており、西山大師の救国精神の業績を受け継ぎ、韓国仏教の代表的な護国道場の位相を誇っています。
草衣禅師は、韓国の茶道を中興させて茶聖と呼ばれ、茶と禅を一つに見て「茶禅一味」を標榜しました。茶文化の聖地として知られています。
大興寺は数多くの文化財を所蔵しており、周辺の優れた山並み、九林九曲に沿ったうっそうとしたヒノキの林道など、秀麗な自然風景は名勝として知られています。

韓国 世界遺産、慶州歴史遺跡地区-南山 三陵谷 磨崖仏像群
慶州西南山は新羅の歴史が始まり、最初の王である朴赫居世誕生神話が込められた羅井をはじめ、古代国家として栄え、輝かしい仏教文化を花咲かせた場所で、新羅千年の栄枯盛衰をともにしました。
金鰲峰(468m)から伸びた尾根と谷間に沿って、寺院跡と石仏像、石塔などの仏教遺跡と、宮殿跡、山城、王陵など数多くの文化遺跡が散在しています。
慶州 南山に仏像が造られ始めたのは、7世紀初めと推定されています。
南山全体が新羅仏教の宝庫として挙げられますが、特に三陵谷には磨崖仏像が多く、仏菩薩の世界のようで、11か所の寺院跡と15体の仏像が残っており、南山の巡礼および文化遺跡踏査コースで、最も多くの人々が訪れる場所として有名です。
三陵谷とは、新羅時代の朴氏3人の王の陵があることから名づけられ、ここでは、石仏を時代的に見ることができます。
三国時代の代表的な傑作で、さりげない子供のほほえみでよく知られている「拝洞 石造如来三尊立像」、新羅時代の朴氏3人の王様の陵がある「三陵」、統一新羅の文化的成熟期に作られた、豊満かつたくましい気性が見える「三陵渓 石造如来坐像」、頭に宝冠をかぶって、ニコニコと微笑んだまま甘露瓶を持って、天から降りてきたような「磨崖観音菩薩像」、力強く描いたような絵、仏教絵画を見ているような「線刻六尊仏」 、南山で唯一、高麗初期の仏像「線刻如来坐像」、統一直後の美しい力強さが湧き上がるような「石造如来坐像」、衆生のために岩の中に姿を表しているような高さ6メートルの「磨崖釈迦如来坐像」などを次々と目にすることができます。
そして、尾根の碁岩に登ると南山の美しい風景と慶州市内が一望できます。 片側にあるポストは、絵葉書に南山の思い出とお便りを書き、恋しい人に思いを込めて届けることができます。
拝洞 石造如来三尊立像・배동 석조여래삼존입상
住所: 慶州市 鮑石路 692‐25(경주시 포석로 692-25)
文化財指定:宝物 第63号
慶州市 鮑石路三仏寺にある 拝洞 石造如来三尊立像は、周辺の山すそに散らばっていたものを1923年、今の場所に集めて建てました。本尊仏の高さは2.75mで、左右の菩薩像の高さはそれぞれ2.28m、2.2mです。
三尊仏は、全て子供のように明るく無邪気な表情をしており、豊満な顔つきで、大きな半円を描いた眉毛は深く凹んでおり、その下のまぶたは膨れ上がり、両目は無邪気に笑っています。
短い鼻と分厚い唇、両頬は華やかで慈悲深い笑みがこぼれてます。 両眉の間に白毫がはっきりと表現されており、螺髪はビー玉のように表現されています。 平らな四角い足は台座の上にゆったりと乗っており、厚い袈裟は太い服のしわが垂れたU字型で表現されています。
本尊仏の手印は施無畏印*と施与願印**となっており、左の菩薩像は頭に宝冠をかぶって満面の笑みを浮かべ、右手は説法印を、左手には淨瓶***を持っています。
右側の菩薩像も穏やかな内面の笑みが描かれており、太い首飾りとビーズを足首に装飾しています。 彫刻の腕に優れ、優しくて人間的な情感が溢れ、宗教的神秘が漂う石仏像で、7世紀の代表作と評価されています。
*施無畏印:仏が衆生の恐れを消すために施す印相
**施与願印:仏がすべての衆生の願いをかなえるうように見える結印。
***淨瓶: 衆生の苦痛と渇きを解消する甘露水を込める病気、甘露病または宝瓶とも言う。
三陵・삼릉
住所:慶州市 拝洞 73-1(경주시 배동 73-1)
文化財指定:史跡 第219号
三凌は、慶州市 鮑石路の三凌探訪支援センターを通って山のふもとに沿って約300m上ると、右側にうっそうとした松林の中に位置します。
三陵は松林で有名なところで、ドラマ『善徳女王』のロケ地として知られています。
ぎっしり茂っている松の木は、曲線美を誇るかのように空に向かってそびえ立ち、南山の風景と美しい調和を成しています。
三陵とは、南山の西側のふもとに3基の王陵が並んでいることから名付けられたもので、下から新羅時代の第8代阿達羅王、第53代神徳王、第54代景明王など、朴氏3人の王様の陵があります。
王陵はすべて円形に土を積み上げた形をしており、内部調査の結果、割れ石を積み上げて造成した横穴式石室であることが明らかになりました。
玄室*の壁面に屏風を立て替えたように、東西の洋壁の一部に色が塗られており、これは本格的な壁画ではありませんが、壁画が描かれていない新羅古墳では初めて発見されるもので、注目される資料です。 色は赤色、黄色、白色、群青色、紺色になっていて、12幅になっています。 景明王陵の大きさは下周50m、高さ4.5m、直径16mです。
*玄室:横穴式古墳内にあって棺を安置する室。
三陵渓 石造如来坐像・삼릉곡 석조여래좌상
住所: 경주시 배동 (慶州市 拝洞)
三陵から松林の道に沿って約500m上がると、道端にある大きな岩の上に頭のない仏が現れます。 高さ1.6m、幅1.56mの大きな座仏像は、1964年に学生によって渓谷の地中から頭のない状態で発見され、今の場所に運ばれました。
長い間、土の中に埋もれていて、摩滅がほとんどない状態で保たれ、服のしわも鮮明に表れています。 頭部がなくなり、手と膝の部分が破損していたため、手印は不明ですが、胴体が豊満でゆったりと静座をした姿勢で、力強くしわのついた三道、堂々とした胸と広い肩、弾力ある威風堂々とした姿をしています。
仏様の左肩から垂れて結ばれた袈裟の紐と、下衣を結びつけた紐、そして膝の下に垂れた2本の結び目は非常にリアルで繊細に表現されています。 新羅時代から伝統工芸が伝来していたことが分かり、茸長寺 三輪台座仏/茸長寺谷 石造如来坐像とともに、新羅時代の服飾史を研究する上で重要な史料となっています。
統一新羅時代、8世紀半ば、全盛期時代の優れた仏像です。
三陵渓谷 磨崖観音菩薩像・삼릉계곡 마애관음보살상
住所:慶州市 拝洞(경주시 배동)
文化財指定:有形文化財 第19号
別名、頭のない仏様から北側の尾根の方から見下ろすと、尖った岩柱がそびえていますが、その中の一つの岩にニコニコ笑みを浮かべ、下界を見下ろしている観音菩薩像が刻まれています。
頭には宝冠を被り、満面に微笑みを浮かべた豊満な顔つきは慈悲深いです。
右手は説法印を、左手には甘露瓶を持っており、首飾りと袈裟を束ねた紐は蝶の羽のように結び、胴体から血が流れるように繊細に表現されています。 後ろにある、斜めの岩を光背にして、蓮華台座の上に立っている姿をしています。 観世音菩薩は現世衆生の救済のため、今、天上界から下界へと下降したようです。
この仏像の最も明るく美しい笑顔を見ることができる瞬間は、南山に夕日が沈む頃です。 紅葉のある秋は、さらに美しいです。 高さ1.54m、幅0.54m、統一新羅時代の9世紀に造成されました。
三陵渓谷 線刻六尊仏・삼릉계곡 선각육존불
住所:慶州市 拝洞(경주시 배동)
文化財指定:有形文化財 第21号
三陵渓 石造如来坐像から、上禪庵方向に約100m上がると分かれ道が現れます。 まっすぐ登れば、一般登山路の山の頂上に向かう道で、左側に見える小さな谷間を流れる小川を渡ると、線刻六尊仏が見えます。
東西に広がる自然の岩の面に線刻で刻まれた磨崖六尊仏像は、まるで新羅の仏教絵画を見ているかのように彫刻技法が精巧で優秀であり、韓国の線刻磨崖仏*の中では最高とされています。
岩の右側の削ってない広い岩面に、娑婆世界で説法されている三尊像の本尊は釈迦如来で、その左右の菩薩像は穏やかな表情で蓮の花を踏み、本尊に向かって立っています。 左の面には往生する衆生を出迎える神秘的な姿の来迎阿弥陀如来を一枚の絵で刻んだ三尊像で、本尊は阿弥陀如来を、左右の菩薩像は片膝を沸かせ、両手をいっぱいに蓮の花を捧げ、本尊に向かって供養する姿です。 現生と内生を経た岩に絵を描くように線刻で表現しており、さらに神秘的な彫刻です。 岩の上部には当時、仏像を保存するために法堂を建てた跡が残っています。 統一新羅時代の9世紀に造成されました。
*磨崖仏:自然の懸崖または大石に仏像を彫刻したもの
三陵渓谷 線刻如来坐像・삼릉계곡 선각여래좌상
住所: 경주시 배동 (慶州市 拝洞)
文化財指定:有形文化財 第159号
線刻六尊仏が刻まれた岩壁の上の方へ、尾根に沿って約150m上がります。 この区間は狭く急傾斜で滑りやすい山道です。 登る途中、空を見上げると正面に巨大な岩壁の岩面に刻まれている線刻如来坐像が見えます。 登るときは息切れしますが、にこにこ笑って喜んでくれるお釈迦様に会った瞬間、心が明るくなります。
磨崖仏は、高さ約10メートルの崖岩が西に向かってそびえています。線刻如来坐像は、西に向かってそびえる高さ約10mの自然の岩壁の中央に、直径2.5mの蓮華の台座の上に、説法印をして静座)をした姿で、下界を見下ろしています。 胴体は全て線刻で彫られており、顔の部分を削って浮彫で表現しています。蓮華台や光背は太い線で、衣服のシワは細い線で描かれており、全体的に素朴な表現が施されています。 南山の磨崖仏の中でもっとも遅い時期の10世紀に築造されました。 如来坐像の左側の大きな岩は、夫婦が互いに抱いている姿に似ていることから、夫婦岩と呼ばれています。
摩崖仏が眺めている方向には、南山の風景と慶州平野の眺めが一望できます。
三陵渓 石造如来坐像・삼릉계 석조여래좌상
住所:慶州市 拝洞 山 71(경주시 배동 산 71)
文化財指定:宝物 第666号
三陵谷石仏如来坐像は三陵谷 第6寺址にある仏像で、三陵探訪支援センターから上禪庵*方向に登山路に沿って1.25km上がっていくと、左方向から40m離れた尾根の上に仏像が見えます。
他の方向の三陵渓谷 線刻如来坐像から行く場合は、磨崖仏の右側にある細道に沿って120mほど行くと、松林と岩で囲まれた中、純白の花崗岩で造られた如来坐像が華やかな蓮華台の上に座っていらっしゃいます。
お釈迦様の顔は丸く、両耳は短く表現されており、左肩にかけて着た服のシワの線は簡潔で美しく表現されています。 腰は細く、座った姿勢は安定感があります。
蓮華台座は、上・中・下で構成されていますが、上台石には華やかな蓮華文が彫刻されていて、八角の中台石には、各面に簡単な目の形、眼象が彫刻されています。 通常、仏像の下台石には覆蓮**が刻まれていますが、この仏像は八角に粗く彫刻されたのが特徴で、まるで仏様が岩の中から俗界に浮かび上がるような姿で表現されています。この仏像は8世紀後半の作品で、威風堂々とした姿勢をしています。
仏像の少し下には大きな岩の尾根を基壇にした石塔跡があり、その横には1/5に縮小製作された模型塔を見ることができ、本来の石塔は復元して国立慶州博物館に移して展示されています。
*庵:大きい家についている小さな家。 一時的に住みながら道を磨く小さな家。
**覆蓮:蓮の花を伏せた形の模様。
三陵渓 磨崖釈迦如来坐像・삼릉계곡 마애석가여래좌상
住所:慶州市 南山循環路 341-126(경주시 남산순환로 341-126)
文化財指定:有形文化財 第158号
三陵探訪支援センターから 金鰲峰 方向に登山道に沿って登っていくと、1.65km地点の山の中に小さな庵、上禪庵が見えます。 庵を通り過ぎて山頂に150mほど登っていくと、巨大な自然岩盤の壁面に陽刻された高さ6mの磨崖釈迦如来坐像が見えます。
体を少し後ろに反らせている姿で、半眼は俗世の衆生を見下ろしているようです。 頭から肩にかけては立体感をもって深く刻んで引き立たせている反面、胴体は非常に浅く刻まれています。 まるで岩の中からお釈迦様が出てきた瞬間を表現したようです。 この仏像は南山で2番目に大きい仏像で、9世紀に作られました。
※今は落石の危険のため、磨崖仏まで近づくことができず、山道を回って尾根の思想巖のあるところで降りてみなければなりません。
碁岩・바둑바위
住所:慶州市 拝洞 山 46(경주시 배동 산 46)
三陵渓谷の岩峰、岩山の頂上には琴松と伝わる建物跡があります。 その横の岩原には昔から神仙たちが降りて遊んだ碁岩があり、新羅の景徳王の時代には玉宝高が南山の風景と空を友とし、伽倻琴(カヤグム)*を弾きながら遊んだ場所として知られています。 眺めが良く、徐羅伐野原と北南山の風景が一望できます。 そして、碁岩の片隅にある郵便ポストは、絵葉書に南山の思い出とお便りを書き、恋しい人に心を込めて送ることができます。
*伽倻琴:韓国特有の弦楽器の一つ
[旅行 Tip]
三陵谷石仏と磨崖仏像群巡りは、三陵谷入り口の三凌探訪支援センターを出発して遺跡を見学し、碁岩から戻ると約3時間~3時間30分、三仏寺からの出発する際は、さらに30分かかると予想されます。
南山 三陵谷 石仏像群巡りは岩山でアップダウンがあったり、木の根、石段が多いところです。ハイキング服装とハイキングシューズがおすすめです。リュック、帽子、雨具、手袋、お弁当と飲料水、ガイドマップを用意すれば、もっと安全に楽しめます。
[公共交通機関]
慶州市内から内南行きの市内バス(500、505、507番)に乗り、三陵バス停で下車します。 約30分所要。 帰りは三陵停留所から市内行きの市内バスに乗ります。
タクシー料金は、10,000~15,000ウォンです。
[地元でおすすめする飲食店]
▮食堂:三陵故郷ソンカルグクス(삼릉고향손칼국수)
▮ご住所:慶州市 三陵3キル(경주시 삼릉3길)、Tel: 054-745-1038
▮代表メニュー:ウリミル ソンカルグクス(우리밀 손칼국수)

韓国 世界遺産、慶州歴史遺跡地区-慶州 南山「七仏庵 磨崖仏像群と  神仙庵 磨崖菩薩半跏像」巡礼(경주 남산 칠불암 마애불상군& 신선암 마애보살반가상)
韓国 世界文化遺産、慶州歴史遺跡地区-南山地区
住所:慶州市 南山洞 山 36-4(경주시 남산동 산 36-4)
七仏庵 磨崖仏像群は、南山の磨崖仏像の中でも最高傑作とされています。
七仏庵(チルブルアン・칠불암)は、慶州 南山の南東、烽火台の稜線から伸びた深い谷、烽火谷(ボンファゴル・봉화골)の中腹に位置する小さな庵で、巨大な自然岩石に釈迦三尊仏と四方仏など、7体の仏菩薩像が刻まれているということからその名が付けられました。
七仏庵へ登る道は、いくつかの道に通じています。
その中でも統一殿を出発し、西出池~南山洞三重石塔~念仏寺址~烽火渓谷に沿って登るのが便利です。
山の入口にある南山洞(ナンサンドン・남산동)は、牧歌的な風景が美しい村で、南山を背景にそびえ立っている石塔と調和して山水画を見ているようです。
山道の入り口から山腹の泉(大安堂)までは、ゆるやかな登り坂です。
自然の音を友に、煩悩多き日常から離れ、しばし清浄な世界に身を任せます。
泉から庵までの約100mは、急な石段です。
ぎっしりと茂った竹(笹)の森の間にある石段を一つづつ踏んで登りながら、森の道の美しい風情を楽しんでいると、尼僧の朗らかな念仏に引かれ、いつのまにか庵の庭に到着します。
巨大な自然岩石に刻まれた七つの仏菩薩様が、慈悲深く穏やかな微笑みで訪問客を迎えます。山の下にパノラマのように広がる尾根の美しい風景は感嘆を導き、心を開くと煩悩までも一挙に消えてしまうようです。
七仏庵は、険しい尾根の上に建てられ、境内には本堂や三聖閣などの建物があります。本堂には仏像が奉安されておらず、外側の七つの仏菩薩様(釈迦三尊仏と四方仏)に向かって参拝するように造られており、寺の庭には石塔と塔部材などがあります。そして、庭の片隅にある郵便ポストは、絵葉書に南山の思い出を書き、愛しい人への思いを込めて、送ることができます。フロアには、コーヒーやミネラルウォーター、クッキーなどを置いて無料で提供しています。苦労の末に庵を訪れた訪問客のための心遣いが感じられます。
※七仏庵文化財解説(韓国語):毎週土曜日(10:00、11:00、12:00時)
慶州 南山 七仏庵 磨崖仏像群・경주 남산 칠불암 마애불상군
文化財指定:国宝 第312号
急な山の中腹に築台を築き上げ、巨大な自然岩石を屏風のように削り、釈迦三尊仏を浮彫で祀り、その前側に1.74m間隔を置いて4面の岩に四方仏を彫り、全部7体の仏菩薩像が造成されてあります
釈迦三尊仏中央の如来座像は、華やかな蓮の花の上に座って豊かで堂々とした姿で、顔いっぱいに慈悲深い微笑を浮かべています。法衣は偏袒右肩*の姿で、柔らかく体の屈曲を表現し、手印は降魔触地印で、右手は膝の上に乗せて指先を地面に向け、左手は腹部に当てています。左右には脇侍菩薩立像を配置し、全身をやさしく包み込む服を着ています。
四方仏は華やかに咲いた蓮の花の上に、慈しみ深く座っている形をしており、方向によって手の形をそれぞれ変えています。東側の面は、東方瑠璃光世界の薬師如来、西側の面は西方浄土極楽世界の阿弥陀仏を刻んでいます。
石窟庵の仏像より早い時期の7世紀末から8世紀初めに作られました。
南山の様々な仏像の中で唯一国宝に指定されており、新羅仏教美術全盛期の最高傑作とされています。
*偏袒右肩:相手に恭敬の意を表す法衣の着方で、右肩を肩脱ぎにし、左肩のみを覆うこと。
七仏庵から神聖庵に行く道…
七仏庵 磨崖仏像群が刻まれた屏風岩の上側、神仙岩の崖っぷちに磨崖菩薩半跏像があります。磨崖仏像群の裏に回って尾根の方向にあり、急な山道に沿って250m、20分ほど登っていきます。松林と岩山の道に沿って登っていくと、南山の風景と奇妙な岩が絶景を成し、まるで天国に向かうはしごのようで、下からは徐羅伐原が一望できます。
尾根から南に約60m下に入ると、何十路もの崖の神仙岩の南側の面に、三面宝冠をかぶり、神秘的な姿をした磨崖菩薩半跏像が一面に笑みを浮かべて訪問者を迎えます。
慶州 南山 神仙庵 磨崖菩薩半跏像・경주 남산 신선암 마애보살반가상
文化財指定:宝物 第199号
神仙庵 磨崖菩薩半跏像は、神仙岩の崖の南の面に1.4mの高さで刻まれています。
まるで兜率天内院宮にいるような、雲の上に浮かんでいるような、慈悲深く豊満な微笑を浮かべ、そっと閉じた両目は、禅定に入ったような、娑婆世界の衆生について見ているようです。
自然の岩石に菩提樹の葉の形をした龕室を削って作り、その中に体を前かがみにした磨崖仏を彫刻しています。龕室をそのまま挙身光*としました。
目は細く、口元には見えるか見えないかの笑みがあり、全体的に穏やかで慈悲深い姿をしています。
裾は台座の下に落ちていて、左足は台座の上にのせ、右足は自然と台座の下に垂らして半跏に近い姿をしています。こうした姿勢を遊戯座像といい、遊戯座はとても楽に座っているという意味です。
頭部は3面の宝冠をかぶり、その上に肉髻**がそびえています。
髪飾りを結んだ紐は蝶々の羽のように結び目を作り、耳のあたりまであり、両肩に垂れています。両手は胸の前で持ち上げ、右手には花枝を持ち、左手は親指と紙を合わせて説法印を押しています。裾は、しなやかに身体の屈曲を表現しながら膝の下に垂れ下がっており、まるで風に舞っているように繊細に表現されています。
足元には華麗な雲を刻み、この菩薩様が天上の世界にいることを表しています。
*挙身光や菩薩の全身から発する光
**肉髻:仏の三十二相の一。頭頂部に一段高く碗形に隆起している部分
下り道…
神仙岩の尾根から七仏庵〜統一殿に戻ると1.65km、およそ1時間30分かかります。
統一殿を出発し、全体的な巡礼時間は、4時間ほどです。
神仙庵から山の稜線を越え、高位峰〜茸長村、イヨンぜ(峠・이영재)~茸長寺谷 三重石塔&石造如来坐像〜金鰲峰〜三陵、イヨンぜ(峠・이영재)~茸長寺谷 三重石塔& 石造如来坐像〜金鰲峰~統一殿として一周することもでき、南山への上り下りは多方面に分かれています。
[旅  Tip]
山の入口の村、南山洞には、お寺や塔、文化遺跡地が散在しており、多くの芸術家が住んでいることで知られています。村には韓屋ペンションと有名なグルメ店があり、カフェには地元の人々が多く訪れ、新羅千年の痕跡と共に田園的な田舎町の雰囲気でゆったりとした時間を過ごすことができます。
南山洞 統一殿を出発 → 七仏庵までは3.4km、1時間30分ほどかかります。
七仏庵は岩山で、石段が多い場所です。ハイキングの服装、アップダウンがあったり、木の根が多いため、ハイキングシューズがおすすめです。リュック、帽子、雨具、手袋、お弁当と飲料水、ガイドマップを用意すれば、もっと安全に楽しめます。
[公共交通]
※市内バス:11番(運行間隔:20分)
※慶州市外バス停(高速バス停)から仏国寺行きの市内バスに乗って→統一殿停留場下車(約35分)
※タクシー料金は約12,000~15,000ウォンぐらい。
[地元でおすすめする飲食店]
▮食堂:西出池手豆腐(서출지손두부)
▮ご住所:慶州市 南山1キル 38(경주시 남산1길 38 )、Tel: 054-776-5292
▮代表メニュー:豆腐専門店、純豆腐チゲ(두부전문점, 순두부찌개) 

종묘제례(宗廟祭禮) 및 종묘제례악(宗廟祭禮樂)
宗廟祭礼および宗廟祭礼楽
Royal ancestral ritual in the Jongmyo shrine and its music
登録年:2001年
地域:ソウル
宗廟は朝鮮王朝(14世紀~19世紀)の先祖に捧げている儒教儀礼を行う場所であります。
宗廟祭礼は宗廟で行われる朝鮮時代の王室祭祀儀式で、その規模が大きく重要な行事となったため、宗廟大祭といわれます。祭祀の参加者は祭官服を着用して食べ物や酒を先祖にお供えしました。宗廟で行われるこの厳かな儀式は500年の歴史を持つ貴重な精神的文化遺産で、「孝」を重要視する儒教礼節の手順により執り行われ、民族の連帯感と秩序の形成に大きな役割を果たしました。
宗廟祭礼楽は宗廟の祭享(国家で行う祭祀)に使われる音楽で、演奏や歌、舞踊で構成されています。韓国の伝統楽器で演奏され、行事の順序に合わせて舞踊と音楽が調和を成します。
朝鮮時代には春夏秋冬の季節ごとと師走に行っており、1969年から大同宗約院によって復元され、今は毎年5月の第1日曜日と11月の第1土曜日に行われています。


판소리
パンソリ
Pansori epic chant
登録年:2003年
地域:
パンソリはひとりの歌い手が太鼓の拍子に合わせて、長い物語を唱(歌)、アニリ(台詞)、ノルムセ(身振り)を織り交ぜながら口演する公演芸術です。韓国の民族情緒がよく表れている伝統音楽で、公演者と聴衆がひとつになって楽しめるのが特徴です。両班(昔の貴族階級)と庶民の文化を調和させ、人生の喜怒哀楽が盛り込まれています。
パンソリとは、パン(広場)とソリ(歌)の合成語であります。ソリは「音楽」、「パン」は「色んな人々が集まる所」または「状況と場面」という意味があり、パンソリとは「多くの聴衆が集まった遊びの場で歌う歌」という意味で、歌い手と聴衆の積極的な参加で完成されるという独特な特徴を持っています。
パンソリは全羅道を中心に忠清道、京畿道にわたる広い地域で伝承され、地域的特徴による形成されています。全羅道東北地域のソリ制を東便制、全羅道西南地域のソリ制を西便制といい、京畿道と忠清道のソリ制を中古制といいます。