人類全体にとって普遍的価値がある遺産をユネスコが「世界遺産一覧表」に登録した文化財のこと!
京畿道 廣州市・城南市・河南市 一帯
休業日:年中無休
南漢山城は、朝鮮時代(1392~1910)に非常時に臨時首都として機能するように築かれた城で、7世紀初めに築城されたとされており、中国や日本などの影響を受けながら築城技術が発達したことが分かるという点で、歴史的・文化的価値があります。
東西南北にそれぞれ4つの門と門楼があり、城の中には守禦庁、倉庫、行宮などがあります。主要文化財としては守御将台、長慶寺、行宮、崇烈殿、清涼堂があります。 守御将台は南漢山城に建てられた4つの将台の中で現存する唯一の建築物であり、南漢山城のなかで最も高い日長山の頂上にあります。丙子胡乱では仁祖が45日間滞在して直接指揮をとりました。
長慶寺は1683年に建立された寺院で、南漢山城の建築を手伝っていた全国の僧侶が宿泊していたことから、朝鮮時代の僧侶が国のために活動していたことが分かる文化財です。僧兵のためにつくられた9つの寺の中で唯一保存されている場所です。 南漢山城の行宮は、国の戦争の際、首都の役割の代わりをする避難場所として使用されました。他の行宮とは違なり、国家の仕事の処理のための施設が備わっており、宗廟や社稷の空間が設けられています。
崇烈殿(スンニョルジョン)は百済を建国した温祚(オンジョ)王と山城築城当時の責任者だった将軍を祀った祠堂で、現在でも南漢山城に関する大きな行事があるたびにここで祭祀が執り行われています。